浅羽ネムの長いひとりごと

思いついたことを書いたり描いたりしてるブログ。あくまで主体がTwitterなのでコメント欄なし。のんびりやります。

黒い歴史と世界の話

状況がよくわかっていないのですが、なぜここ最近また黒歴史とか違うとかいう話が出てるのでしょうか。あー…書籍?ムック?…すみません読んでいません。私はあくまで特オタを降りた身ですから。ただ、一度自分で思うことを書いておいた方がいいのかなと思いました。

どうしてああいう噂が立ったのか、私には全然わからないんですよ。高寺Pやキャストの皆さんとは今でも親交があること、結婚の時にお祝いの飲み会をやったこと、それに大魔神カノン最終回の出演と、情報は幾度となく入ってきていたから。
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私からは「Cut」(2006年)のインタビューでも載せておきましょうか。
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 (※なお、文中に出てくる事務所はオダギリジョーの現在の事務所ではありません)
話しているんですよ。山陰では未放送なんですが、去年王様のブランチ(アリスの棘の番宣)でこれとほぼ同じ話をしていることも確認しています。(その日のツイログ:12時~13時くらいのところ)でも「そんなの知らない」「聞いてないから」「そんなこと嘘だネットで見た」という意見もあるでしょうね。そして、結局誰が何を言ってもこの噂は消えることはないのでしょう。「あまり気乗りがしなかったけどやる以上は絶対良いものにしたかった」という話が「嫌いだった」と変換されたというのは、つまり特撮が大好きな人間以外は認めないという考え方が根底にあるんでしょうね。

平成2期に出ている人たちはだいたい「小さい頃にライダー観てました!」とキラキラした目で話してくれていますが、それは平成ライダーが15年休止もなく続いてきたことが大きいと思います。1期の主演の人たちの子供の頃は特撮冬の時代ど真ん中だったりします。「知ってるライダーは仮面ノリダー」というケースも少なくない年代なんです。好きとか嫌いとか以前に、特撮が気づかれなかった時代です。現在はずっと続けることで存在に気付いてもらえてる時代なんです。まして娯楽は特撮だけではありません。アニメも、ドラマも、映画もあるんです。視聴者にとっては別に特撮がなくてもいいんですよ。特撮を愛せなかったらダメだという縛りをやってしまったら、新規のお客さんは特撮ジャンルに入ってこなくなります。(自分たちだけでジャンルを囲いたいという希望なのであれば別に止めませんが)

世界って、自分の視界に入る範囲だけじゃないんです。目に見える世界の向こうには知らない世界が広がっているんです。それまでは知らなかったり、興味がなかったり、怖がっていたりして見えなかったということも数多くあって。

かくいう私もこの人を好きになるまではほとんどアニメ特撮以外のものを観たことがありませんでした。月9や大河ドラマを観る日が来るとは考えたこともなかった。映画もチケットの買い方すらわかりませんでした。私にとっては、この人は自分の世界を広げてくれた人なんです。
ただ、少しずつ少しずつ、仲間だと思っていた人たちがこの人に石を投げるようになった。まるで特オタ同士ではそうやって遊ぶのがルールであるかのように。一人一人はきっと軽いノリなんでしょう。ただそれを何年も見てたらかなり精神的に来ていて。その後響鬼騒動発生。昔から「特撮ヒーロー番組は教育番組」なんて言われていて、アホな私はそれを真に受けていましたが、それを数え切れないほど観ている人たちによる自分の世界を守るための罵り合いを見ていたら「特撮ヒーロー番組が育ててきたのはこういう人たちなんだな」と思いました。思うところあって戻ってきた今のニチアサはのどかになったように見えます。ただこうして時々変な噂が出てきたり、大戦映画で荒れたりするのを見ると火種はそこかしこにあるようです。
大河にしても朝ドラにしても、「史実はこうなのに」とか「過去の名作はこうなのに」とかいって荒れることがあるので、固定客がいる枠はこういうことが起こりやすいのでしょう。自分の世界を守るための、殴りつけるための視聴。私は私の世界を守りたいので、どの枠にしても定住はせず、観たいものだけをちょろっとつまみ食いする程度のかかわり方をします。
平成ライダーは15年、荒れたり荒れたりしながら(荒れてばっかりかい)決して平坦とは言えない歩みだったはずです。クウガを観ていた5歳の子が成人式に出るくらいの年月ですから。でもね、オダギリジョーも彼なりの15年を生きてたんですよ。好きになれなんて言いません。嫌いなら嫌いでいいので自分が見ている景色だけが世界のすべてではないことだけでも、どうかわかってもらえないでしょうか。