浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

合葬(原作未読です)

やっと山陰でも合葬が上映されましたよ!(ノД`)・゜・。なお今のところFOUJITAが山陰で上映される見通しはさっぱり立っておりません!ありゃDVD待ちになっちゃうのかなー(´;ω;`)ブワッ

それはともかくまずは予告編をご覧ください。

youtu.be

鑑賞前はこれを観ていて「キラキラと眩しかった少年たちの友情が時代の流れによって引き裂かれる悲劇」という印象を持っていました。いや大筋では間違っちゃいないんですが、実際に観たらそれ以上に怖い映画だと思いました。ただ私は原作を読んでいないため「何言ってんだおめえ⁉」な感想である可能性は高いです。ひとりごとですから。このブログはひとりごとですから。

合葬

合葬

 

 

Twitterとかネットとかいろんなところを巡ると激しい意見が見えることも多いわけです。「××しようとするあいつはシネ」とか「▲▲は危険だという批判が多いがここでやめたら怪我をした■■くんに申し訳ないからやめるわけにはいかない」とか(あまり社会的なことを言うつもりのないアカウントなのでオブラートに包んだものをさらに包んだ表現にしてわけがわからなくなっております)、傍から見たら「なにこのひとこわい」で片付けそうなことでも自分が当事者だったら飲み込まれてしまうほどの激しさであり、もし飲み込まれなかったら「仲間のはずの人」から淘汰されてしまうような。

極が見た慶喜公の生霊(?)がちょうどそんな感じに見えて、あれが本当に生霊なのか、そこに慶喜公自身の意思があるのかははっきりと語られない。でも極はそこに(勝手に)意思を感じ取って戦だと息巻いている。森は異を唱えて淘汰される。悌二郎はおかしいと思いながらも友を放っておけずに結局抜け出せず死んでゆく。(この世界での)彰義隊に取り巻いていたものは何だったのかな。それぞれの隊士達の意志が増幅された「狂気」という名の怪物としか言えないな。そして当時の感覚からすると未来人、観客目線だと現代っ子な柾之助は殺すことも苦しむ極の介錯をしてあげることもできないまま、殺されずに生き残る。何だかある意味ホラーもののようであるなと思った。

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それはともかくとして森様はお色気侍だなあ!!!!! (今までの文章台無しか)(しかし本物の色気にはとうてい追いつかない画力よ_| ̄|○

でもこれってただのサービスカットなわけではなかったのだな。誰が吹いているとも知らず極は笛の音に聞き惚れる。その主が自分が腰抜けと罵っている人物だと知らずに。その時に砂世のもとに現れた彼はきっと生霊だよなあ…。あれは彼が狂気に飲まれるか否かの分岐点だったんだろうか。

…とここまで書いてはみたもののこの解釈でいいのかどうかは自信がありません。(ひどいちゃぶ台返し)ひとりごとですから。あくまでこのブログはひとりごとですから。