私がこの枠でよく知っている痩せ我慢とは戦いの苦しみを隠して笑顔を見せるというイメージが強かった。10年も経つと痩せ我慢とはちゃんと見抜かれて、足りないところを補われて、きちんと救いを持たせてくれるのだなというのがこの全49話まで観てきて思ったことだった。えがったえがった(´;ω;`)ブワッ
翔ちゃんもフィリップも所長も照井もみんな完璧な人ではなくてどこかは足りないしどこかは過剰だったりする。そこを互いに補って協力するの、熱いよねー。しつこいほど言ってるけどやっぱり私は複数ライダーはバトルより共闘の方が好きだ。そしてライダーはもうたった一人で傷ついてもダメだとも思っている。(めんどくさい考えだなオイ)
何となく連想したんや。
何か自分が観てきた平成ライダーの終わり方で「悲しい」とか「この人を解放してあげたい」とか思ったのはいろいろあったけど「彼らはこの街をこれからも守り続けていくんだなあ、ええなあ」というのはちょっと初めてなので驚いている。(自分が終わりまで観たのはクウガ〜響鬼、ディケイド、鎧武)まあ主人公が宇宙の神様になるという終わりは後にも先にも出てこないだろうけどな!ww (いえね、最近連ドラ最終回界隈が「意表を突けばいいってもんじゃないんだよ!」みたいに荒れていたのでね)
平成ライダーは1期の頃はどこかベタというかヒーローものでお約束とされていた部分から離れようとしていたところがあると思っていて、でも何年もやるとそこが「平成ライダーのお約束」になるんだよなーと徐々にしんどくなっていたのでした。(個人の感想です)もしかしてどこかで「ベタでもいいじゃないか」って作用が起こっていたのかな。それって実は大きな改革よね。長く続いてきたことを改めるわけだから。実際Wを観ているとびっくりするほどストレスなく楽しめていたのできっと私はベタの方が体感に合ってる。(いや…何か1期ってあえてストレス与えるみたいなところありましたやん…)まあでも去年が鎧武だったので1期のノリを求める層も根強いのだと思う。王道も変化球も交互にできるくらいがいいんだろうなあ。