浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

平成ライダー20作品記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER

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はじめに

公開前の主にオリキャス関係のあれこれでかなり精神的に来ていて、「観ない」選択をするつもりでした。そしてジオウも年内最終の16話を最後に視聴をやめて、もしも観たいと思う時が来たらレンタルかサンテレビの再放送で観ようと考えていました。公開されたら思った以上に好評で気にかかった次第。実際に観たら想像以上に「仮面ライダーとファン」についてピュアで誠実な作りになっていて驚きました。完全に誤解していて申し訳ありませんでした。春映画みたいな出来になってて誰もが怒ってしまいにはオダギリさんまで罵倒されてる光景しか想像できてなかった…。なお当アカウントはこういう客演作品においては先輩の扱いよりも現行の主人公が生き生きできてるかの方を重要視するという前提で以下の感想をお読みください。私の初めてのライダーはスカイさんなんだ。だから「真面目に原点回帰したって先輩を立てたってどうせ後年誰も思い出してくれない、主役でいられる間に爪跡を残さないといけない」と思ってるんだ。

 

記憶を失った人たち

冒頭、ソウゴくんが模試でA判定を出したと誇らしげに話してた時点で「いやいやいやおかしいだろ!!!」とツッコんだアカウントがこちらになります。王様になるんだから勉強しないと真剣な顔で言い出すあのソウゴくんが!そして少しずつ見えてくるのが今彼らがいる場所はどうもいつもの世界と違うらしいこと。そして記憶を操作されてうっかり2018年の高校生活を満喫してしまう未来人たち…ていうかツクヨミちゃん、3点って。3点って。

 

フータロス、いい子。

なぜ今いる世界の人間たちはソウゴくんが仮面ライダージオウなことを知っているのか、なぜスカイウォールのない世界なのにヒゲとポテトとみーたんの記憶が戻っているのか、なぜ仮面ライダービルドである戦兎くんが民衆から嫌われるどころか歓声を浴びるのくゎ!!!(ついネットミームに侵されてしまった)その答えはただ一つ…アタル少年がある目的のためにイマジンのフータロスと契約を交わしたからだぁ!!!!!フータロスなー、一見ぶっきらぼうだけどすごくいい子だよなー。CV滝藤賢一さんと知って予想してたのとだいたい同じキャラだったよ。えっフータロスのグッズ作ってないのどういうことなの。

 

仮面ライダーは、テレビの中の絵空事

2000年1月29日(仮面ライダークウガ放送開始前日)誕生したアタルくん。その日行方不明になった兄の発見を願う彼はフィクションの存在である仮面ライダーに縋るようになっていた。現在のジオウ本編で50年後の自分が最高最善を掲げたまま最低最悪の魔王になっていてショックを受けてるところなのでソウゴくんの動揺がうまいことマッチしてたのと、元より作られたヒーローなので虚構だと言われても怯まず先輩の貫禄を出してる戦兎くんが印象的だったなー。

????「ハッハッハ、俺も良いことしてやっただろ?」帰れ!!!

アタルくんは部屋にフィギュアなどの仮面ライダーグッズをたくさん飾っていたけど、私はライダーに限らず特撮においてああいう愛し方をしたことはありません。ああいうことをしている兄を横で見ているタイプでした。連れられるような感じで映像作品を観ていたけど、自分自身ははたして仮面ライダー好き、特撮好きと言えるのかは今でもわかりません。そしてこのシーンから後は私は仮面ライダーが好きな人を見ている観客」という、この映画が想定している客層とは若干違う立ち位置で観ることになりました。

 

初代平成ライダー誕生の地・九郎ヶ岳

公開前に発表されたあらすじでティードがここに来るとわかった時に「五代くんのクウガ誕生の地って九郎ヶ岳なんだろうか…?正確さを取るなら長野県警(1話)でエモを取るなら教会(2話)では…?」と思っておりました。なのでここにティードが来るならそういうことだろうなと予想してた通りでしたが、各方面に最も角が立たないやり方だったと思う、うん!棺と遺跡の可能な限りでの再現度、そしてタイムスタンプで誠意があると感じた。

W、えーとWか。風都探偵の方でがんばれ。でもまあWライドウォッチが「鍵」だったし、ね?

 

超極秘サプライズレジェンド・佐藤健

電王は現在東映特撮YouTubeでの配信で観ています(初見)。8話まで観た今のところ「のび太と迷惑なドラえもん(たち)」という印象だけど脚本 小林靖子」のテロップが異常に不穏です。たぶんこの映画でも語られてる記憶と時間の関係って電王を完走してる人にはもっと深いところで味わえるんだろうなーと思ったので本編の配信が終わったらまたこの映画を観た方がいいのかもしれないなー。こうして2007年の番組を2018年に観てまず思うのは「こんなクルクル人格が変わる演技でちゃんと目つきから変えてる当時18歳これがデビュー作の佐藤健何者だよ…」ってことですわ。ところで特異点が歴史干渉に左右されない存在ということなら、SH大戦GP仮面ライダー3号で歴史改変ビームを食らってた彼はいったい…まぼろし???

公開前、ずっとたくさんの人が「情報が隠されてる」「すごいオリキャスがいるに違いない」って大騒ぎになる中で私はずっとイライラしておりました。どうして大森P担当の平ジェネ前2作の方針を白倉P担当の今作が全く同じに引き継ぐと思うのか、そしてあの時点で発表されていたキャスト欄を簡単にショボいと言ってしまえるのは何なのか全くわからなかった。結果を知ったらなるほどそれは極秘の撮影は大変だったろうな、すごいなと思います。…この辺りについて別件で思うことがありますがそれは最後に書きます。

 

仮面ライダーは、存在する!」

どうやってジオウ・ビルド以外の18人を集結させるのか、それはほぼ想定してた通りでした。でもここに至るまで「虚構の存在」だけど「記憶には残っている存在」としての仮面ライダーってことを積み上げてきたせいか、想定通りなのにすごく熱かったですねえ。というか、20人のライダーが勢揃いしてバイクアクションして数多の敵と大乱戦になり大爆発もあったりして巨大な敵と戦うってことだけ書き出すと春映画でやってることと変わらないのに熱さが感じられたのは何の違いなんだろう。これは今後のために真剣に考えていかないといけないことだと思うの。声(本人キャストによる新録もライブラリ音声も)と動きの可能な限りでの再現性で今までの大集合映画でよくあった「モブ」や「NPC的存在」ではなく「命ある存在」として感じられたってことかなあ?この作品のテーマからいって、集結したライダーに命が感じられなかったらアウトだろうからそこすごくこだわったのだろうと思う。それが本人たちなのか人々の願いで現れた概念なのかはどっちでもいい。記憶に残っている限り、仮面ライダーはいる。集まった仮面ライダーたちは間違いなく彼らでしたよ。クウガも見てて「ハッ」としたもの。

 

アナザークウガ

公開前から想像してたのは、あれは要するにゴ・バダー・バ(≒アナザー1号)だよなってこと。始まりであるクウガなくして平成ライダーはなかった。でもジオウが終わってもライダーが終わるわけがない。元号が変わってもこれからもずっと続いていかなければならない。だから、礎を倒す儀式のようなものだと。きっとこういうのは形を変えて節目ごとに繰り返されていくものなのだろう。そうですねえ、私は正直言ってクウガって特撮ファン全体からはむしろ嫌われてると思ってるんですよ。嫌われてるとまでいかなくとも、かつて私がウルトラセブンに持っていたもやもやとした薄暗い感情に近いものを若い世代に持たれてるような気がしてる。取り扱いが面倒すぎる作品として。だからこの節目で疑似的に倒してもらうのはアリじゃないかと思ってる。こちらとしても呪いのような存在でいてほしくないと思うし。(まあそういう状況でオリキャスを求めたらいかんとは思う)何しろ原型が残ってない「完全にグロンギ化したクウガのようなもの」「醜悪な笑顔のような何か」「親指がないからサムズアップできない」「ご丁寧にもアルティメットバージョンがある」ものなので人によって賛否激しいだろうけどこれで少しでもいろいろなもやもやしたものが晴れるといいなと思う。ああアナザーW…アナザーWね… Wは風都探偵の方でがんばれ。(天丼)

 

細けえことをエモで殴る

きっと細かいツッコミをしたらキリがないと思うんです。とりあえず「結局タイムジャッカーって何なの?」とは思ってるwwwただそういう小さいところを大きな仮面ライダー愛でぶん殴る、それも「お前らこういうのが好きなんやろ⁉︎俺もお前らが大好きやで!!!」で答えてくる。…というかなあ、ライダーの大集合系作品でそういう姿勢なこと自体がレアなのではって気持ちさえある。何かこれまでだと「まあ…何か…仕方ないっすよねえ…(予算とかスケジュールとか)」で感情が消えていくことがよくあったのでただただびっくりしていて、そして仮面ライダーを愛した人たち」が喜んでいたことにただただ良かったねえ、良かったねえとこちらも嬉しくなる感じでした。

エンディングが始まったら「うわああああ」となったのですよ。

以上は平成ライダーの約半分ほどの作品につき合ってる者」としての感想です。この映画に公開前から良いイメージだけを持って待機していた方々はこの後に書いてある最後のエントリを読まずにブラウザバックをお勧めします。

 

一介のオダギリジョーファンとして(ここのみ超ネガティブ注意)

率直に書きますが無関係な画像を掲げてデマを流された件については全く許していません。これは映画の方針というよりもその制作・宣伝方法の過程において起こったさざ波のようなことであり、きっと多くの方々にとってはどうでもいいこと。でもその中で見たことを一つ一つ繋ぎ合わせると「オダギリジョークウガ以外のことで何をしててもどうでもいい」「あの髪型でヒゲなしだったことがクウガとは無関係な他のドラマの撮影のためな可能性を想像できない」「隣に写ってるピアニストが見えない」「後ろに写ってる時計は見える」…つまり「何をやってるのか興味ないけど自分たちのために来てくれると心の底から信じている」。これは「仮面ライダーを愛した人たち」にはきっとそう思って当たり前のことだったのだろう。そして「いやデマ撒くなや」としか思わない私は「仮面ライダーを愛した人たち」の中には入れない。昔から私はそうだったな、撮影技術や専門用語を覚えられない私はずっと兄からお前には特撮ファンの資格がないと責められていたからそんなもんだ。ただそんな私にとっては「変身ヒーロー好きじゃない」と言ってのけ、でも良い作品を作ろうと心血注ぐ人たちと真摯に作品作りに挑んだ主演俳優は救いだった、それだけのことだ。でも、「仮面ライダーを愛した人たち」はそんなことはどうでもよくてオリキャス自身よりも黒歴史の噂の方を信じたんだ。そこに纏わるわだかまりなんて消えることはないよ。そこまでどうでもいいのならなぜ出演してほしいと望んでデマを撒き散らし喚いたんだ。ほっといてほしい。

映画自体には非常に誠意を感じたし、年明けからのジオウは未来のライダー編になるようなのでこの先はオリキャス騒ぎも収まるかなと思うし、何よりジオウのオリジナルキャラの雰囲気は好きなので一応視聴は続けるものの、心の中に爆弾のようなものはずっと残り続けるのだと思う。そしてあまりに耐えられなくなったら、まあその時はその時。

 

そして「その時」はここから2か月後に来ました。→さらばジオ!( ´ ▽ ` )ノ - 浅羽ネムの長いひとりごと