アマプラのタロウ視聴終了しました。ネクサスの鬱をうまく相殺できるかなと思って同時視聴に挑んでみたら記憶以上のカオスでオラ頭クラクラしたぞ!(ノ∀`)
息子のタイガくんって祖父母と父親の名が大きすぎて俺自身を見てもらえてないとかエリート家系のプレッシャーとかまあ坊ちゃんならではの悩みを持ってるじゃないですか、でもタロウ本編を観ると「君の父さん言うほどスーパーでもないで?むしろわんぱくな末っ子やで?」とツッコんでしまうよww「そうだ、漬け物だ、漬け物にしてやるんだ!」(真剣な表情)
基本的には明るく楽しくリアリティなんぞかなぐり捨てるレベルのゆるふわ作風、そして派手な火力と大破壊で迫力の特撮*1 、だけど怪獣被害で常に人が大量に死んだり、強欲な人間の犠牲になる怪獣の悲劇だったり大人への憎しみを抱えた子供が起こす惨劇などエグみも入っていたりして、それでも一貫して子供たちに「どんな困難にも挫けずに立ち向かえ」とメッセージを送り続ける。まあその結果怪獣に生身で立ち向かう異常に戦闘力が高い一般市民を多数爆誕させることになるんですけど…(ノ∀`)しかもこれが積み重なって最終回ですごい説得力を持ってしまうという。
そう、この歌詞と共通する世界観。ちなみにネクサス第1部オープニングのこの曲にずっと「あの世界に見てるだけの女なんていねえだろ!ウルトラマンを殺そうとする女までいるんだぞ⁉︎」とツッコんでいたアカウントがこちらです。
番組がこういう締め方をしてるので以降のシリーズでは東光太郎オリキャス出演が全くないのは個人的にはすごく納得しかないのです。人間の力だけで生き抜く選択をしてウルトラマンの能力を捨てた彼をもう一度変身させるならそれ相応のアンサーを出さねばならないのではと考えております。
全編に渡って子供たちを楽しませようという姿勢が一貫しているのと、放送当時(昭和48年)はおそらくおばけや妖精が今よりも身近だったのだろうと感じさせる話作りを見て、おとぎ話の絵本のようだなあと思って令和元年の視聴をしておりました。めっちゃくちゃ楽しかったー。最後がああいう締めなのは子供時代の終わりと大人の世界への旅立ちのような趣きも感じました。
ところでタイガはタロウの息子の話という割に思ってたのと違うという印象がありませんか。放送が始まって2ヶ月過ぎて思うのは「子供は親の思う通りには育たないもんですなあ」ってことだったり、「子供扱いされたくない子供もたくさんいますわなあ」ってことだったりwwタロウは良くも悪くも昭和48年当時の気分が反映された‟全力のジャリ番”なので令和の時代で再現するのは厳しいのかもしれないとも思ってたり。出自と宿命の鎖の話の中で他のキャラの境遇と比較するとどうしても恵まれたボンボンに見えてしまうタイガくんの着地点ははたしてどこか。ところで完走しておいて何だけど、タイガの副教材的な作品ってもしかしてタロウじゃなくてメビウスじゃね???
それはそれとして親子の餅つきは見たいなあ。でも餅つきシーズンは番組のクライマックスの時期なんだよなー。
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