浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ…


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去年と違い今年はおま地域(おまえの地域では映画を映してやらん)をギリギリで回避しました。行動を止める敵を倒したと思ったら今度は侵略者がやってくる、今の時代のリアルがある。

 

 

ツブイマ鑑賞(2月23時午前0時)

マザースフィアを倒してから1年、新入隊員も入ったGUTS-SELECTは未来を目指して変化していた。この物語はそんなさなかに起きた事件の話。地球人の精神力に注目して怪獣に取り込み兵器にしようとするプロフェッサー・ギベルス、そこに割って入ったのがデッカーによく似た姿のウルトラマンだった。

ラヴィー星人ディナスがウルトラマンダイナに助けられた時、彼女の精神感能力とダイナの光が合わさって現れた新たなる光。ただラヴィー星人はあまり戦闘向きではなくものすごく必死にバタバタしながら何とか勝ってるって印象。がんばり屋ではあるけど心配になるわ。

とはいえGUTS-SELECT(デッカー期)も無敵というよりは時に弱気に陥りながらも助け合ってどうにか勝ってきた人たちなわけで、そこは劇場版でも同じでした。ピンチになっても過去に関わった人たちが助けてくれるのも彼らのまっすぐな行いがあってこそ。諦めない心を持ち続けることの大切さを真正面から伝えてくる映画です。

そういえばアスカは人から光となり先のステージへ移って行ったけどカナタは光であり人でもあるまま仲間と共に先へ進んで行くことになるわけですね。ダイナは希望と共に寂しさも伴う締めだったけどデッカーは現代的な前向きの締めでした。疫病や戦争と大変な時代を生きているリアルの私たち子供たちも前を向いて生きていけますように。

ところで全部終わった今ツッコみたいことがあります。デッカーという作品を通して観た上では人間が謎の光に頼るだけではいけないという決意なのはわかるがあんな不穏な言い方しなくてもよくない?????

まあただ…テレビサイズで観るとどうしてもテレビの印象を出なくて「映画なのに…」って思ってしまうの去年も感じたことだけどそれは配信の弱いところ。劇場で観たらどう思うか比べてみたいですね。

えーところで配信限定の特別映像なんですが2つあります。前者は楽しい!かわいい!そして後者何だあれは。よくわからないが「攻めの姿勢」っぽい印象を受けた。

(3月25日追記)

 

劇場鑑賞(3月1日MOVIX日吉津にて)

5%くらいの確率で雀ディメンションカードをもらえたら面白かったのでは(どうやってフュージョンファイトで使うんだよ)

冒頭でHANEジローさんによる本編振り返りがあり、実質前説として機能していました。*1

2回目の鑑賞ではヒロインというよりもほぼ主役だったディナスを中心に観ました。ヒーローの恋人や家族ではない、自らの意志で戦うというか誰かを守ることを選んだ、だけど戦いには向いていない女性。この手のタイプは自分の限界を超えた無理をしがちだということをよく知ってる私は公開前からずっと「死んでカナタに光を移すとかしてデッカー再変身可能となるんじゃ…」とどんよりしてたんですが、前向きな感じで安心しましたよ。結局あれはディナスの能力とGUTS-SELECTの思いが共鳴してディナスのカードがデッカーのものに上書きされたってことなんですかね?なのでカナタ終の戦い(こっちは嘘キャッチコピーのような)、始まりのディナス。未来の方のデッカーはアスミ家の血筋の影響とダイナからの光で全く同じ姿ってところなのかな。改めて入隊してカナタ・イチカ・HANEジローと共に宇宙へ飛び立つディナスはもう変身はできないんだろうか。今後はカードの能力でやっていくことになりそうだけど何やかんやギャラファイに出られる余地があるといいなという思いといやこのタイプはこれ以上無茶をしたらいけないという思い、心がふたつある。ただこの物語、「本当は静かに暮らしていたい人が理不尽な悪意に襲われ抵抗せざるを得ない状況になっている」という今私たちが見守ることしかできないでいる人たちを思わせる感じがあって、今のところ一応安全圏で暮らしている私としてはただそういう人の無事を願うことしかできないなとも思う。

1回目に配信で観た時にすでに感じてたことだけどやっぱり巨大戦は劇場のスクリーンで観た方が見応えがありました。ただそう思う私に「いつでもどこでもみんなが観られる方がみんな幸せじゃろがい!!!」と観たい映画をおま県にされがちな私が殴りかかってきます。…世の中うまくいかねえな…。

*1:一方その頃地上波ジェネスタではゼットさんがアホの子ムーブをかましていたと思うとじわじわ面白い。