浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

ぜんぶ、ボクのせい


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第一報が出た時に記事を書いてから実際に観るまでかなり時間がかかったことを不思議に思いますかね?おま県されたからだよ!!!配信の躍進によりテレビ番組の地方格差はだいぶ解消されるようになったけど映画はまだまだ何ともならんなあ〜。

 

施設での生活に馴染めない優太は身一つで母親のもとへ飛び出すがそこにも彼の居場所はなかった。失意のまま彷徨う優太はホームレスのおっちゃんと女子高生の詩織と出会う。この2人もまた心に欠けた部分を持っていた。

展開はほぼ先に上げた予告編の通りに進む。子供が辛い目に遭う話なので心構えが必要な人も多いだろうけど、おっちゃんのある種軽妙ないいかげんさがクッションとなり思いの外楽しく観られる…と油断してたら急転直下になるけど。

優太もおっちゃんも詩織も“上手く”生きられている人ではなく、それぞれに躓き傷を負っているのだが、事情を知らない周囲はそんな彼らを上辺だけで判断し、罵り、攻撃する。もう少し周囲の空気を読んで合わせた方が…と思わなくはないのだけど、それができる“器用”な人であれば初めから苦労しないのだろう。ラストシーン、優太は理不尽に対して泣くのではなく睨みつけながら心に炎を燃やして生きることを決意したのかなあと。

夢で逢えたら

夢で逢えたら

でも優しかった人に、楽しかった日々に会えるのがもう夢の中しかないというのはそれは声変わりもしていない子供にとってあまりにも厳しい。エンディング曲がこんな使われ方になると思ってなかったのでただ呆然とするばかりでした。

昨今インターネットでバズりやすい件として火垂るの墓での清太の顛末は自業自得だみたいな物言いがありますが、ああいう思考の土台にあるのは自己責任論ですよね。“みんな”に合わせてやっていくのが当たり前でそうできない者は弾かれて当たり前みたいなアレ。そういう論だと優太たちも“弾かれる側”なところがあり、でも一応私もそれなりに“みんな”に合わせようとはしているけどいつ何があって弾かれるかわからないというのはあって、誰もが穏やかに生きていければいいなと思うのだけど、それは厳しいかなあ、辛いなあ。