駿府に残された妻子を救い、岡崎での一向一揆を平定している間に元康改め家康には頼もしい仲間たちが続々と集まり…頼もしい?彼ら本当に頼もしいかな?割と自分勝手に動く三河武士、野盗スレスレというかほぼ野盗の服部党、敵か味方か揺れ動く君はどっちだ本多正信ですぞ???なお家康は家康で立派な若殿かといえば全然そんなことはなく、話の8割泣き叫び、残りの2割で何とか腹を括り、両腕ぐるぐるぶん回しながら何とか勝ってるという感じ。領民から強引に取り立てた米を美味そうに食うシーンはなかなかに心に来た。それでも真正面からの諫言は動揺しつつも重く受け止めるし懸命に成功の望みが薄い作戦を遂行しようとする者を笑わない、彼が主人公たる所以は強さでも行動力でもなく、きっとその臆病さからくる“ほっとけなさ”なのかなと。
思うに周りの武将たちがいろいろと強そうヤバそうな中で家康は「ドッジボールで逃げ回ってるうちに最後まで残る奴」なのかな。そして家臣たちはそんな泣き虫殿をしょうがねえなーと思いながらそれなりに温かく見守ってる感じ。今はまだ泣きながら右往左往している家康がこの先腹芸自由自在な狸になるのか、それとも最後までわたわたしながら勝ち進んで周りからは神の君と持ち上げられるのかはまだ何とも。
このドラマは極端な漫画的演出が特徴的で、どう見ても日本じゃない敵アジトとかわくわくニンジャバトルとか癖が強いのでかなり好き嫌いが分かれることになりそうだなとは思います。ダメと思う人は本当にダメだろうと。ただ今のところ私としてはすげえ楽しいという感じなのです。私にも一部で言われている「存在しない原作漫画」の幻覚が見えてきました。作画コストが異常にかかると思うのでそれを描けるかはわからん。
真田丸放送中にこの作品の存在を知り、空中を飛ぶ真田丸とか7人に増殖する真田幸村とか50メートル飛ぶ家康の首とか隕石に乗って飛び立つ宇宙人猿飛佐助とか次々と目に飛び込んでくる「そうはならんやろ」に呆然としながら「こういうの今ではできないよなあ」という寂しさを覚えたりもしました。でもなぜ今ではできないと思うのか?お金がかかるから?時代劇はもはやNHKが何とか気を吐いてる状態だから?それともみんなが「正しさ」を求めるから?その答えはわからないけど、このドラマで服部党のニンジャ大乱戦のシーンを観た時に「とにかくこのわくわく感は続けてほしい」と思ったのです。そういうのは大河でやるべきじゃない?じゃあ大河は何をやる枠なの?
娯楽の中心が映画からテレビに移りつつあった時代、歌舞伎役者も映画スターも一同に集まり幾多の苦難を乗り越えて制作された大河ドラマ第1作「花の生涯」。その1話も観たんだけど、捕まったヒロインが拷問されるところのやけに艶めかしい妄想を準主人公が延々とやってたんですけど。重厚?重厚とは?今は娯楽の中心がテレビからネットに移っている時代で、その上でテレビにできることは何なのか模索してる時期なのかと思っております。そういう時に「大河なんだからこうでなくてはならない」という固まった思考では時代の流れに取り残されてしまう。シリーズものは常に変化を続けていかなければならんのです。というか大河のことはわからないけど自分ごととして考えた場合「Q・マン・セブンだけが本物!ウルトラマンは神秘的でなければ!」みたいな物言いを見たらキエエエエー!!!となるので大河に対しても固まった思考を持たないようにしたいです。*1
【3月15日追記】
新CM「その時メリーゴーラウンドが動いた」篇が本日解禁!
— ひらかたパーク (@hirapar_pr) 2023年3月14日
OAは、3月18日(土)から♬
超ひらパー兄さん就任10周年!🎊
今回は…戦国時代の鎧をまとった園長!?
就任10周年特別呼称・・・?!
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ひらパーついにやりやがったwww