浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

こんばんは徳川家康です。どうする家康での「神の君」とは北条義とk…南光坊天海が作り上げた虚像でしたよ。

(このドラマ上での)家康は気の弱い白兎だ。困難に出くわすとどうしようどうしようと怯え、家臣たちには大切にはされてるけど何となくナメられてもいて、信長を倒すと決意してもいざとなると決めきれない。それでも人を騙す狸となって周りを調略できるまでにはなったものの、「乱世を望む者を道連れにして地獄へ行く」とかカッコいいこと言いながら生き残る。そして民衆には織田豊臣が取った天下を掠め取ったと罵られる。その姿は今の世に伝わる東照大権現徳川家康像とはあまりにも違っていた。

なぜなら我々がよく知ってる家康の姿は後世にこいつらが捏造したものだから。小四郎…いや南光坊天海に「源頼朝公だって本当はどんな奴だったかわかりゃしねえ」と言われたら「あ…あんたほどの黒執権が言うなら…」と納得するしかねえ!鎌倉殿の13人最終回冒頭で吾妻鏡を読む家康から1年越しの回収です!なんぞこれ!

正直…変なドラマだったな…。初期にやたらバカでかい城とかわくわくニンジャバトルとか出てきて「これは史実何それおいしいの的に振り切ったバカ大河なのかなあ、大河としては奇妙だけどそのスピリットは応援したいなあ」と思っていたら徐々にそのバカ演出は抑えられていきだんだん乱世の悲惨さを押し出して行ったので「このドラマは何をどうしたいんだ…?」と戸惑いながら大阪の陣まで進んだ感が強い。これは春日局が幼い竹千代(家光)に読み聞かせする際に彼女が見てない時代は何かふわふわしてて彼女が知ってる時代は悲惨なのが反映してる説を見かけて納得はしたものの、じゃあ春日局の人となりをざっくりでも説明してくれよ!とはなる。それがわかるのって直近だとドラマ10大奥シーズン1有功・家光編ですやん!他作品かよ!

大河は1年やるので「途中乗車」がとても難しい、そのためにその回初めて観てもわかりやすい作りになっている、それは親切ではあるけど通して観ると無から急に生える人物が多すぎたり、再登場する人物の思考が前とは食い違ってるように思えて困惑するということも多かった。面白かったのは確かなんだけど喉越しとしては妙に小骨が残る感じ。

とはいうものの、乱世の“常識”に馴染めなかった家康が心ならずも戦によって戦のない世を作って神の君と崇められることとなり、でも本心ではずっと家族や家臣たちと笑い合って過ごしていたいと願っていた一人の弱き人間であったという締めは好き。その表現のために15分拡大して鯉がいない誰が食ったと大騒ぎするコントを流すというのはとても奇妙に思うけど。きっとこれがこのドラマの味なんだと思う。

ただずっとこの1年間、大河は〇〇でないといかんな声とか主演の事務所問題に絡める声とかTwitterからのノイズがとても大きく、自分もそれに流されてしまったように思っていて後悔がある。来年は何を摂取するにしてももう少し自分の頭で感じ取りたいなと思っていて、いよいよTwitterから離れる時が来たかなあと。今すぐアカウント削除とはいかないけども。