浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

こんばんは徳川家康です。どうする家康では皆に助けられてようやく生きていけてる男ですよ。

もしかしたらこのドラマは相当に“変”な大河ドラマなのでは…?と思い始めているところでございます。今まで観てきた大河で異色作だと思うのはやっぱりいだてんだけど、あれは脚本クドカンだし題材もこれまで取り上げてこなかった東京オリンピックだし、変わった作品になることは最初からわかってたところはある。今回安定王道の戦国時代で主人公は何度も取り上げられてきた徳川家康。主演松潤だから「明るく楽しくわかりやすい」って感じの大河になるのかなーと思ってたんだけど、こう、もうすぐ放送開始から半年経つというのに何か後味が不思議すぎる…?????

今時の連ドラってだいたい何気なく散りばめられた事柄が後々の伏線になる形を滑らかに描いていくのが主流だと思うんだけどこのドラマの場合2、3週くらい前に出てきたキャラの回想が無から生えてきてエモーショナルに盛り上げていく形が多く、少々の戸惑いを覚えながら観ております。なお似た形式らしいコンフィデンスマンJPは未視聴。お市の方が夫浅井長政の裏切りを兄織田信長に知らせる時に小豆袋を使ったという逸話があるそうなんだけど、このドラマの場合小豆が侍女の阿月という人間と化してびっくり。約40キロを激走し力尽きてしまって悲しみ。…しかし考えてみてほしい、普通歴史ドラマって実在人物の方に尺を取るよね?????オリキャラで1話分使って感動的に盛り上げるの、面白さと戸惑いが同時に押し寄せたりしましたぞい。

ただずっと観ていると、このドラマが描いているのは戦などの歴史的イベントというよりは乱世の中で傷つけられる人々なのかなという気がしている。そんな人たちに対して家康はどうしていくべきなのか、今はまだオロオロしてるばかりの彼だけどいつか立派な神の君となるかもしれないし、爺さんになってもやっぱりオロオロしてるのかもしれない。

幼い頃の家康を優しく励ましてくれた家臣夏目吉信。織田家へ連れ去られた時に殺されたと思っていた彼は夏目広次に名を変えて城主となった家康に仕えていた。なぜか何度も名前を「吉次?」「広信?」と間違えてしまう家康は愚かな殿なわけではなく、幼い頃の朧げな記憶が「吉」や「信」の入った名前を言わせていた───という種明かし。そして24年前に守れなかった償いを窮地の家康の身代わりになることで果たすという泣かせる展開。このドラマ、デカすぎる城とかわくわくニンジャバトルとか画ヅラが時にバカすぎるんだけど、こういう感情の誘導もキメるのですわ。

まあ一方で「なぜ家臣たちは弱々しく見える家康に命を賭してついて行くのか」ってことをはっきりと言葉で語ってないからその辺わかりにくいかなとも思う。ただ、周りを見渡すと織田家は毎日がパワハラ会議だし武田家はニンジャ軍団が控える悪の帝国だし、呑気にえびすくいを踊りながら過ごしていたい三河武士たちにとっては徳川家は生きていたい場所なのかもしれんなとは思ってる。家康はそんな家臣や家族を守りながらあの(特殊な)乱世で生きていけるのかは気になりますね。

現時点での印象としては「変な大河ドラマだなあ」とは思ってるけどそれを不快に思ってるわけではなくて「この強烈な個性は唯一無二だと思うので見守っていきたい」という気持ちが大きいですね。