浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

さかなのこ


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ノベライズ版の方に脚本家の名前がありますが、えー何というか、作品自体は温かく優しい視点の良きものだからこそ、彼の性加害問題がノイズになってしまうところはありまして、公開を止めないまでも彼の懐にお金が入らないような“処置”や“ケジメ”をつけるわけにはいかなかったかなあということは思います。

ミー坊はお魚博士を夢見るお魚大好きな子。毎日魚を食べ、魚の絵を描き、いつも勉強そっちのけで魚を愛でていた。「普通の子」とはかなり違うミー坊は周囲から奇異に思われもするが、母親や友達など温かい絆に育まれ自分の「好き」を貫いてのびのびと生きてゆく。

こういう物語でモデルはあのさかなクンとなると私は性格が悪いので「でもさかなクンはかなりの特殊な人だからああなれたわけだけど、好きを貫いても上手く生きられなかった人はごまんといるやん?」とは思ったんですよ。

さかなクンになれなかったギョギョおじさん(演:さかなクン)をお出しされたのでこの件は私の負けです。というか原作者やモデル人物の特別出演はよくあるけど子供に変質者扱いされ誘拐の疑いをかけられて連行される役を受けるさかなクンの心が海よりも広すぎる。

ミー坊のifな存在はいろいろと出てきたように思う。ギョギョおじさんもそうだし、女房に働かせて自分は一日中店先でタバコ吸ってる理髪店の名ばかり店主とか(まさしく髪結いの亭主ですな)、総長(後に家業の魚屋を継ぐ)やヒヨ(高校の頃はヤンキーで後にテレビ業界入り)は「普通に生きられたら」な存在のように思うし、モモコは「子供を持っていたら」こうなってた存在なのかもしれない。

そして好きを貫いて生きていたミー坊なんだけど全肯定してきた母親は実は魚嫌いだし、ミー坊が高校に上がって以降は父親と兄がいなくなっているのが「あっ…これついていけなくなって離別したっぽい…」って察する作りになっていて、結構本人預かり知らぬところで家族を振り回していたことがわかり、一見優しい世界だけどよく考えてみるとヒヤッとする部分が垣間見える。

ミー坊にあってギョギョおじさんになかったのは何だったのかというのは考えたけどよくわからなくて、きっとそれは紙一重の違いでしかないのだと思う。ただミー坊は物怖じせず周囲との違いを気にかけないところがあり、それが周りの人を惹きつけて助けになってもらえたのではないか、もちろんそれは“始まり”のところで我が子を否定しなかった母親の全肯定がベースにあるのだろうけど。

ずっと考えていたのはのんさんのこと。あまちゃんで脚光を浴びた後いろいろなことがあって「普通の若手女優」とはだいぶ違うルートを歩むことになり、大変は大変なんだろうと思う。事務所を辞めたら本名を名乗れないって何なんだよと今でも思うし。でも外野から見てる感じでは唯一無二のルートを歩んでるようにも見えて面白いなとも思う。そんな彼女ののびのび生きてる感じがミー坊の姿に重なり、この役を演じられる人は他にいないと思うまでありました。性別なんて誤差の範囲よ!

ただだからこそ脚本家の問題にははっきりとケリをつけてもらいたかったですね…彼のしたことはミー坊のような夢を見る人の道を閉ざす行為なので…。