記念撮影はこんな感じで見たかった気もする。(あかん)
これでも笑えないエマちゃんの悲しみの深さは伝わったぜ。(ちょ
(い、いやあ先週と今週はエマちゃんが鬱陶しいという意見があちこちで見られましたが、「まあマッサンとエリーの子供だし周りが見えないのは仕様だよな…」とか「いつでも言いたいことを言いなさいと教えられて育った娘だからな…」とか思っていたので特にイラつきはしませんでした。というより優希美青ちゃんがみるみる痩せていくのが心配でそれどころじゃなかった。あの子まだ15ですよ…。どうかしっかり休んで元気になってください)
今週出てきた豆・くるみ・松のおまじないは八重の桜でも登場しています。ヒロイン八重さんの父と最初の夫の出陣の時。それがうまくいったのかって?熊さんが余市にいることから察してください。効かないおまじないも弾を避けられるはずのない千人針も、死がすぐ隣にある状況で何かせずにはいられない気持ちの表れなのだ。
(そろそろ八重の桜を観ていた人と観てない人の間で温度差がすごいことになってそうなのでざっくりと説明)週半ばで熊さんは「戦が始まってしまったら勝つしかねえ」と言ってましたが、会津戦争で戦っていた人たち(熊さんの親世代)も多くはそんな気持ちでした。しかし敗れて戦死、切腹、自害、流罪、蟄居などそれぞれが大きな傷を負い、生き残った人たちは賊軍の汚名を着せられる。熊さんは子供の世代なので苦しみの時代の方が長かったわけで、会津藩士たちの意見とはそりゃ違うところもあろう。(…何か「会津藩士がどんな手を使っても生き残れなどと言うはずがないムキー!」といつものように荒れていたらしいので…)
それでも熊さんも一馬もお互いに本心を言い合えたのは良かったはずだ。一馬生き残って会津へ行こうぜ!熊さんにとっては故郷、君にとってはこれから初めて行く土地の会津へ!
会津者にはきっと鉄砲で戦うこの人のご加護がついてっからよぉ!
そして八重の桜ネタなら全く関係なくても新島襄先生を貼るのが俺のジャスティスなのだが予告から察するにこれは来週に回した方が良かったのではあるまいか。
それでは最後に八重の桜42話「襄と行く会津」(八重さん夫婦が故郷の会津に帰って過去を振り返る回だが私は手を振る襄先生がかわいい話と記憶している)放送の頃に作った替え歌「会津に帰ろう」を貼ってお別れです。
会津に帰ろう会津で会おう にしの会津わだすの会津会津会津 会津に帰ろう 好きです尚さま覚えてますかあなたを担いだわだす そちらではみんな笑ってますか こづゆをまめぶと言ってたわだす あんつぁまは投げました腹いせに 浮気したので投げました鴨川方面へ #八重の桜 #あまちゃん
— 浅羽ネム (@800Wa) 2013, 10月 26
おっのでっらちゃーーーん!!!!ゆっくり休んでね本当に…。