最後の最後でまさかの捏造。…いやだって本当はお写真と回想だけですしおすし。
京都編「だけ」で観たら案外すんなり観られたような気がする。戦で何もかも失くして荒んでいた女性が天使に救われ心に平穏を取り戻し、やがて「女は一人でご飯を食べられるようにならなあきまへん」(by和枝ちゃん@ごちそうさん)となる話として受け止められたような。最もそんな気持ちになるためには前半の記憶をほぼ忘れ、会津の人たちのその後についてはマッサン余市編で補完するという荒技を駆使しなければならなかったけど。
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大河ドラマは観た本数が少なく、私は楽しみ方がよくわかってないのではないかと思うようになった。昔から大河は史実・数字・所作・演技と何かにつけて叩かれるところばかり見ていて、おもしろがり方がわからない。結局人は大河の何に魅力を感じ、なぜ何だかんだ言いながらも観続けているのか。どうしてもいつも最後には昔は良かったで終わってしまってるように見える。…冬の時代のころの特撮みたいで、ちょっと今さらそういうジャンルには近づきたくないというのが本当のところ。
そしてこの八重で「クラスタの輪って何だろう」とずっと考えていた。共通の話題で結束して盛り上がるのはわかるけど、それで輪に入ってない(というかその時点でまだほとんど登場してない)要素を要らないと罵る気持ちが今でも理解できない。そして前半と後半の違いで騒ぎになったこと自体がやっぱり某特撮で起こった事態を思い出してしまうわけで。「ファンがすごく怒ってる」ってだけで私は気持ちが強張って逃げたくなるのですわ。
経世済民の男は穏やかな気持ちで観たいと思う。今日の会見の記事を読む限りではその気持ちはたぶん叶えられるのではないかなと期待してる。