この映画は実際に起こった“あの事件”をモチーフにして書かれた小説の映画化です。あの事件そのものの映画化ではありません。さとくんはあの犯人ではないし劇中の施設は実際に事件が起きた施設とイコールではありません。そのことは留意して観る必要があると思います。
洋子。震災を乗り越える人々を描いた小説を書いてデビューしたがその後書けなくなった作家。
昌平。先天性の心疾患で言葉を話すことのないまま3歳で逝った息子のことで妻の洋子と共に傷を抱えている。*1
陽子。小説家を志望しているが身の回りにある欺瞞に怒りを抱えている。
さとくん。“普通の善人”。人に対しては心優しい青年なのだが…。
深い森の中にある施設は誰もが平等で笑顔が溢れる場所…のはずだが本当は劣悪で、職員が入所者を暗い部屋に閉じ込めたり遊び道具にしたりする虐待が横行していた。さとくんはそんな中で思いやりを持って接してきたが、ハードな職務や周りの環境に押し流されるうちに正義感を暴走させていく。
入所者たちは障害者施設の方々が演じているということで、観客ははたしてこの人たちに対して暗い感情を持つことはないと自信を持って言えるのかと試されているように思えた。*2職員による虐待を止めようとする洋子だが、自身に宿った新しい命が亡き息子と同じことにならないかと悩み、中絶も頭に過っているわけで正面切って人を糺せるほどでもない。さとくんにそのことを指摘されても「それでもあなたを認めない」と涙を浮かべて言うのが精一杯だ。
クライマックスのところで洋子と昌平が2人のこれからのことを互いに向き合って語り合うシーンとさとくんが入所者を鎌で切り付けていくシーンが交錯していくのがね、さとくんは「心がないあいつらは人じゃない」と言い、「あなたには心がありますか?」と話しかけ、喋らない入所者に襲いかかる。けどそれはただ彼の基準で一方的に判断しているだけではないのか?実際さとくんに侵入された入所者は目を向けたりピクッとしたりはしていたので意志はあるはずなんだ、さとくんが相手に向き合おうとしてないから理解しないだけで。
実際洋子の言ってることは確かに綺麗事だ。しかし綺麗事を無意味だと切り捨ててしまったらこの世は無法地帯になるだけだ。そうなったらすぐに障害関係なく弱者から打ち捨てられていく。それははたしてさとくんが目指す世の中だろうか?でもさとくんは綺麗事を切り捨て、本来のまっすぐな心のままその全身を血に染めてしまった。「あっち側」に堕ちないためには綺麗事は必要なのだと思うけどその心を持ち続けていられるのかはとても難しい。
ただ力作だと思うし賞レースにも食い込んでほしいけどこれ結局健常者のための作品だよなと思ったりもしてなかなか難しいものです。せめて誰にでも、自分の中にもあるあの犯人と同じ心には抵抗していかなくては。