メビウスの口元って角度によっては歯を食いしばっているように見えるということを言いたくて描いた。
最終クールともなるとレジェンド登場も増えてきたけど一方これまで人間だいすき!の素直な良い子のミライが追い詰められることも増えてきた。(つらい)人間、そういつもいつも逞しいわけじゃないのよ…すぐ攻撃的になるし他人の秘密を探ろうとするし。でも、諦めない強さを持ってることも本当なんだ。
最終三部作はそれまでの回で散りばめられた布石が一点に集まり、かつて敵対もしたけど頼もしい強敵(とも)が駆けつけたり、兄弟たちがピンチを救ってくれたり、人間とウルトラマンが絆の力で超合身、人間の科学がウルトラマンの光線をパワーアップで大団円。こういうの、1年間の軸がしっかりしてないとできないことですよ。人間は時に酷い過ちも犯すしとても弱いけど一方で強い心で大きな奇跡を起こせる生き物だと描き切った良作でした。
以下はレジェンドのことについて。
メビウスの評判についてはレジェンド客演とその扱いの良さをよく聞いてはいたものの、私としては正直言って身構えてしまってるところはあります。特にジオウ周りで「オリキャスが出たら成功、出なけりゃ駄作」「出ない“奴”は裏切り者」などの極論・暴論や出演にまつわる数々のデマを見過ぎた。写真の後ろに時計があるからジオウ出演確定って何なんだそれは。そこには全て「プライムのドラマ“なんか”よりも特撮の方が偉い」「そんな“どうでもいい”ものなんか蹴ってこっちに出るべき」みたいな考え方が見えてならない。多くの特撮ファンがその思考を持つようになったのはなぜなのか、おそらくこの約10年程の間に起こったことの積み重ねなのだと思うけど源流になるのはこの作品なのだろうと。
視聴を始める前の印象がこれ。私がどういうアカウントなのか、誰推しなのかはこのブログのサイドバーを見ていただければわかると思います。こんな私から見てウルトラに限らず特撮作品でのレジェンド客演にまつわる喧騒は正直に言って不愉快としか思えないものでした。誰が出た、暇なのか。誰が出てない、出演を黒歴史にしてるんだ。本当は本編の役を演じて番組を繋いでくれただけで十分な功績なのに雑な思考が風評被害を起こす。何度デマを否定しても声の大きい人たちがいいかげんなことを言ってまたやり直し。そしてまた客演企画が出るたびに同じことの繰り返し。ああ、当アカウントは令和の始まりは2019年5月1日に決まってるだろと言いますよ。ネタがわからないなんてノリが悪いとか嘲る風潮にもうんざりしてるんだ。
なぜみんなあんなにレジェンドのことに躍起になるのか、その解の一端が41話(80回)を観た時に理解できた気がします。途中で中学教師を辞職せざるを得なかった矢的猛。同窓会で彼が来ることを待ち望んでる生徒たち。このシチュエーション、メビウス&80の戦いを見て生徒たちが感激するところまで、つまり80のガワだけでも話は成立するんです。でも長谷川初範さん演じる矢的先生がいるのといないのとでは感動のレベルが違う。ああそうか、みんなが求めてるのはこういうのだったんだ。オリキャスであることのエモさはようやく理解できました。うん、それで推し俳優に対するデマを何度も続けた人たちを許せるかと言ったらまた別の問題なんだけど。許すとは本当に難しい。
今私が思っているのはメビウスの魅力とはオリキャスをたくさん出してることというよりは「ウルトラマンと地球人との絆というテーマに沿って過去作品のエピソードの要素を上手に構成したこと」じゃないかと。そして今後も特撮作品のレジェンド客演は続くだろうけどあくまで私は主人公たちを見ていきたいなと考えています。やっぱり主人公はその時代のちびっ子にとっての代表ですし、その子たちの遊び場に割り込みたくはないので。