浅羽ネムの長いひとりごと

誰かの言葉に乗っかるのではなく自分の言葉を紡ぎたい。

ワールドツアー上映「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ

観に行ってきました。なお相変わらず原作未読であります。

刀鍛冶の里編十一話

asanem800.hatenablog.com

やっぱり鬼滅はテレビ版であってもちゃんと大スクリーンで観る機会があるべきだという思いと「テレビアニメが映画並のクオリティでお送りされることが当たり前という錯覚が起こって今アニメ全般のスケジュールが大変なことになってない?」という思いがあります。とはいえ鬼滅はこのグイグイ動いてモノローグの勢いもあるのが味なのでこれはこのままで行くべきだとは思います。他のアニメはそれぞれの持ち味でやっていけるといいんじゃないかな!皆無理をなさらず!

十一話だけを観ると、死が迫る禰󠄀豆子を救うべきか半天狗を斬るべきか迷い、結局選ぶことができない炭治郎を禰󠄀豆子が蹴り上げて後押しするところがより悲しくなってきた。ヒーローって「みんな」と「自分」との選択を迫られて苦悩するシーンよくあるじゃない?炭治郎はとても真っ直ぐでピュアであり、人を食う残虐な鬼に対しては容赦なく刃を振るえる強さがある。でもその強さを手に入れたのは禰󠄀豆子を人間に戻すためなので彼女が死んだらその時点で炭治郎の心もきっと死ぬ。彼の真っ直ぐさって時にヤバさと紙一重なところがあるとずっと思ってて、でも子供が家族を殺されて生き残った妹を一人で守りながら生きていればこうもなろう。それは悲しいなあと思うし、そのピュアさは自分のヘキにはだいぶ刺さるなということも思ったりはするが悪趣味だと思うので小文字にしました。この「ヒーローの純粋性」みたいなの、たぶん月末に全く違う作品の感想で書くことになると思うんですが忘れてたらごめんなさいです。

あのピュアさの対比なのがわしは可哀想な弱者だと主張しながら全てを周りのせいにして人を食ってきた半天狗であり、自分を治療しようとしていた医者を殺してしまってから変化した体質を治そうとしている無惨様なんですかねえ。初期に出てきた鬼たちには同情の余地のある者も多く一部では御涙頂戴とかバカにされてたっぽいんだけど格が上がるとむしろ救いようのなさが上がってくるものだな。

 

柱稽古編一話

突然あまり話に関わりもなさそうな鬼たちVS風柱蛇柱のバトルが始まったがもしやこれはアニオリか?昔のジャンプアニメ映画では敵の強さの演出のために黄金聖闘士が冒頭で倒されてたもんじゃったがそこまで格を落とさんようになっており、時代は変わったもんじゃのう…年寄りは驚くばかりじゃて…。それはともかく二人の呼吸も出たところで「新しいDX日輪刀が出るよ!やったね!」と思ってしまった。自分のゲスさに反吐が出るわ。

毎回新シリーズの一話は前シリーズとの繋ぎのような感じになっており、今回は「太陽を克服した禰󠄀豆子を無惨が狙ってくる」「鬼殺隊と鬼との本格的な決戦が起こる可能性が高い」「そのために柱が全ての隊員に稽古をつけることになった」という説明の回。あと激闘の中で浮かび上がるアザってどうも死にかけてできるものっぽいし、それができた者ってもしかして近いうちに───。昔のジャンプ漫画だったら死んでもシレッと生き返ってたもんじゃったが時代も変わったのでたぶんそうはいかんのじゃろうなあ…。*1

あと縁壱ロボから出てきた刀が研ぎ直されて煉獄さんの鍔もついて炭治郎の新しい日輪刀になったの、最終フォームだ!と思ってしまった。自分のゲスさに反吐が出るわ。(二回目)

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こういうハイテンションギャグが出てくると「鬼滅を観てるなあ」という感じがある。それにしてもこの柱稽古編は最終決戦直前のクッションのようなエピソードだと思うんだけどこれでワンクール持つのかという疑問があり、冨岡さんが免許を取りに行くアニオリが挟まれるならむしろ望むところだぜ!とは思っております。

*1:さっきから昔のジャンプと言いつつ聖闘士星矢の話ばかりしてねえか?